是川銀蔵

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是川銀蔵・相場師一代(33)・・・小磯内閣誕生

昭和19年7月に東条内閣がいよいよ敗戦濃厚の中で総辞職し、小磯内閣が誕生した。大命降下の後、小磯も組閣しなくてはならない。小磯はすぐに人を送り、銀蔵に入閣するよう要請したが、銀蔵は即座に断ったという。理由がある。銀蔵は小磯に次の首相指名が来...
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是川銀蔵・相場師一代(32)・・・小磯朝鮮総督の知恵袋

銀蔵は朝鮮で強力な味方を手に入れる。朝鮮総督の小磯国昭だった。後の代41代内閣総理大臣である。銀蔵と小磯総督の関係は、銀蔵の小学校時代の恩師・佐々井一晁氏が繋いでくれた。佐々井氏は衆議院議員になっており、右翼の大物になっていた。その佐々井氏...
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是川銀蔵・相場師一代(31)・・・朝鮮での鉱山開発・製鉄所設立

銀蔵は是川経済研究所で株の売買指導をしていたが、「列強は戦争準備に余念がない、応戦体制をすぐに整えなければならない時に、株の売買指導なんて下らん!」そう考えて、なんと朝鮮に渡って鉄山開発をやろうと思い立ったのである。是川経済研究所の所員には...
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是川銀蔵・相場師一代(30)・・・第2次世界大戦を予想する

銀蔵は米国、英国、ソ連、中国、オランダといった国の予算を調べてあることに気づく。それは不必要と思える予算が急激に膨張しているのだ。例えばソ連の予算ではシベリア開発費とインド農業界蓮予算が例年に比べて急激に膨張していた。予算を増やせばそれなり...
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是川銀蔵・相場師一代(29)・・・憲兵隊に国際情勢を講義

銀蔵は昭和8年に憲兵隊に捕まった事がある。講演先で満州事変について話したのだが、どうしても満州事変勃発が腑に落ちないと話したからだ。銀蔵は中国にいた時の経験から中国軍に詳しかった。満州事変が夜に軍事行動を起こすのは珍しい。そもそも夜は8時か...
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是川銀蔵・相場師一代(28)・・・情報の真偽を見抜く

銀蔵は若い時から国際経済の変化を掴むのが得意だったという。人の意見を聞いても、相手の言うことが本当かどうか自分で分析して確信が持てるところまで突き止めないと気が済まなかったそうだ。昭和8年に是川銀蔵経済研究所を開設したのも、国際経済を観察分...
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是川銀蔵・相場師一代(28)・・・億万城者になりそこねる

銀蔵はアメリカの金本位制度停止の予想をして、巨額の売り玉を立てていた。そして1933年4月19日、アメリカから「アメリカ合衆国は金本位制度の停止を決定、ニューヨーク証券取引所は立ち会い停止を・・・」とニュースが飛び込んできた。早朝突然に入っ...
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是川銀蔵・相場師一代(27)・・・アメリカの金本位制停止を読む

昭和7年(1932年)満州事変があり、日本は清朝最後の皇帝溥儀を執政として満州国を建国した。日本が軍事色を強めていく時代になっていた。太平洋戦争に向かい、日本は徐々に進んでいたと銀蔵は書いている。そして昭和8年の株式市場は、そういった世界情...
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是川銀蔵・相場師一代(26)・・・是川経済研究所

銀蔵は昭和経済研究所という名前から、「是川経済研究所」という名前に変更した。中身もこれまでのよくわからない取り巻きの会から、実際に経済のわかる人材育成を目的にすえ、研究員の採用には筆記や面接試験を行い、20代の若い人材のを新聞などの人材求人...
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是川銀蔵・・・相場師一代(25)先生、事務所が出来ました

銀蔵の株式投資家としての快進撃は続いていた。すると大阪の北浜に百発百中の投資家がいるとの噂が広がり始めた。その噂は東京の兜町にも広がっていった。投資の教えを乞う人や会社の顧問になってくれとの人間が、銀蔵の自宅兼事務所に毎日列をなしてあらわれ...