銀蔵はアメリカの金本位制度停止の予想をして、巨額の売り玉を立てていた。そして1933年4月19日、アメリカから「アメリカ合衆国は金本位制度の停止を決定、ニューヨーク証券取引所は立ち会い停止を・・・」とニュースが飛び込んできた。早朝突然に入ってきたニュースに北浜市場はパニックになり、立ち会いどころではなかったと銀蔵は書いている。「さあ、これで一儲けだ。」市場が大混乱し場が立たないなかで銀蔵だけは、すでに手持ち株は売却し空売りを大量に仕掛けていたので、ひとり左うちわでほくそ笑んでいたという。
だが、翌日も、その翌日も、さらにその翌日も場は立たなかった。今度は嫌な予感が銀蔵を過ぎる。「これはいかん」当時の信用取引では客は保証金を20%収めるが、相場が半値になった場合は証券会社が30%を立て替えるという決まりになっていたのだ。つまりこのまま大暴落が起これば証券会社は莫大な立替金を払わされ、倒産する会社が多数現れることになる。おそらくは30%どころか半値になる株価も多数出ると予想されていた。なので証券会社各社は、相場を開くわけにはいかなかったのだ。
とうとう1週間後「アメリカが金本位制を停止する前の終値で決済する」と証券取引所は発表した。これで銀蔵は損はしないものの、億万長者の夢も消えたと言っている。「私の売り玉が有効だったらなあ・・・確実に一代の富を築けたはずなのに」悔しがる銀蔵。相場師というとギャンブラーのイメージもあるが、銀蔵は国際経済の流れを体系的に比較して資料を徹底的に分析、そこから生じるだろう変化を先取りして判断を下していたのだ。
億万長者(1933年の億万長者である)にはなれなかった銀蔵だったが、北浜では銀蔵の名前は知れ渡ることになる。そして情報の取り扱いについても銀蔵は著書に説明するのだ。次回「是川銀蔵・相場師一代(28)・・・情報の真偽を見抜く」乞うご期待!
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