是川銀蔵・相場師一代(32)・・・小磯朝鮮総督の知恵袋

是川銀蔵

銀蔵は朝鮮で強力な味方を手に入れる。朝鮮総督の小磯国昭だった。後の代41代内閣総理大臣である。銀蔵と小磯総督の関係は、銀蔵の小学校時代の恩師・佐々井一晁氏が繋いでくれた。佐々井氏は衆議院議員になっており、右翼の大物になっていた。その佐々井氏が小磯提督に、「朝鮮には教え子の是川銀蔵という変わり者がおる。国策に沿って鉄山の開発をやろうとしているから万事、面倒をみてくれ」と言ってくれていたのだ。(どんな奴だ?)小磯も興味津々で銀蔵に会うが、まさに息が合うのである。公私ともに銀蔵は世話になったと言っている。

是川製鉄が3千万円近い融資を受ける為に産業設備営団に口をきいてくれたのも小磯提督だった。昭和17年に設立された産業設備営団の初代総督が後に王子製紙を創立する藤原銀次郎氏だったが、この藤原総裁と小磯総督が昵懇だった為、銀蔵の融資もすんなり進んだというのだ。銀蔵と小磯総督の関係をマスコミが「是川銀蔵は総督の懐刀だ、影の参謀だ。」などと書いたりもした。実際、銀蔵は商売だけではなく朝鮮の政治についての話も小磯総督としたと書いている。

二人の仲はかなりの親密さだった。銀蔵に小磯総督からしょっちゅう電話があり、晩飯の誘いを受けた。総督官邸にいくと、おかゆをこしらえてまっていてくれるのだという。そして晩飯を食べながら夜の11時や12時まで朝鮮統治について話し込んでいたのだという。役人は銀蔵と総督の付き合いをみており、局長以下、知事までが銀蔵の機嫌を取る始末だった。当時の朝鮮総督の権限はすさまじく、鶴の一声で人事も動いてしまう。銀蔵を内心嫌っていても、表面は低姿勢だった。それは銀蔵があまりに朝鮮人に厳しい対応をする知事二人と局長一人に意見したが改まらず、その後首になったことも影響していた。小磯総督は銀蔵の知恵を自分の行政に役立てており、まさに知恵袋だった。

こうして銀蔵は小磯総督の懐刀になるのだが、関係がこじれる出来事が近づいていた。小磯総督に内閣総理大臣の話が来るのである。銀蔵は小磯の総理就任には反対だったのだ。しかし、小磯から入閣要請がくるのである。。。「是川銀蔵・相場師一代(33)・・・小磯内閣誕生」乞うご期待!

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