是川銀蔵

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是川銀蔵・・・相場師一代(24)百発百中の相場

銀蔵は奥さんが作った70円を握りしめ北浜市場へ向かった。当時の最低保証金は200円だったので取引できないのだが、銀蔵にはあてがあった。株式仲買人の福田賢一郎(後の一吉証券社長)に会いに行ったのだ。福田氏の姉婿に数千円の損害をかけられ、銀蔵の...
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是川銀蔵・・・相場師一代(23)投資はしたいが元手がない

昭和6年(1931年)12月犬養内閣は金輸出禁止を断行したのをきっかけに、株s機器市場は急騰を始めていた。相場の中心は新東株(東京証券取引所新株の略)は、12月10日の119円50銭から翌11日に135円30銭、さらに12日には143円50...
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是川銀蔵・・・相場師一代(22)貧窮の中での図書館通い

銀蔵は世界恐慌のあおりで会社を手放し、無一文になった。そして家族で京都嵐山の知人を頼って移り住んだ。著書の中で銀蔵は「もしかすると資本主義の終焉ではないかと考えた」と語っている。現在からみると何を言っているのか?と思えるが当時はそれほど経済...
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是川銀蔵・・・相場師一代(21)大恐慌のあおり

銀蔵の大阪伸鉄亜鉛メッキ会社は、昭和に入っても順調な経営を続けていたが、突如大事件が起こる。昭和二年(1927年)3月14日衆議院予算委員会で時の若槻礼次郎内閣の片岡蔵相が、「・・・今日正午頃において、東京渡辺銀行がとうとう破綻しました」と...
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是川銀蔵・・・相場師一代(20)末恐ろしい男

銀蔵は野村銀行(後の大和銀行)に融資の話に出かけた。トタンを買ったのはいいが、資金の手当てが出来ていなかったからだ。広瀬という支店長に「明日、小切手を持って業者が窓口に現金を引き出し行きますので融資をお願いしたい」と切り出した。この後生涯の...
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是川銀蔵・・・相場師一代(19)関東大震災とトタン板

是川銀蔵といえば、このトタン板買い占めが有名だ。大正12年(1923年)9月1日、「その日も午前の仕事をを終えて、ちょうど昼飯の弁当を広げかけた時、急にグラグラときた。」銀蔵はそう述べている。横揺れだったので震源地は遠いと判断した銀蔵だった...
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是川銀蔵・・・相場師一代(18)銀蔵の病魔

銀蔵の圧延工場は700度の高温で鉄を溶かしており、工場内は常に乾燥して水をいくらまいても塵埃が立ち込めていたという。工場は24時間稼働していたが生産が追い付かない状況で、銀蔵は朝5時から夜11時まで働いていた。この劣悪な環境で銀蔵は粉骨砕身...
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是川銀蔵・・・相場師一代(17)21歳で従業員260人を使う

大正8年7月、銀蔵は大阪に向かい、鉄のブローカーとなる。日本は第一世界大戦の好景気で、3兆円近い外貨を稼ぎ、戦争による好景気を迎えていた。何を売っても儲かるが、銀蔵は鉄に目を付けた。世界中で最も需要があり、現物があれば右から左に売れた。銀蔵...
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是川銀蔵・・・相場師一代(16)退屈な仕事

兵隊になればよい人間に変わるだろうと期待していた銀蔵の両親の期待は兵役に落ちたことで、裏切られた。銀蔵が南方に行きたいと言っているのを知っていた両親は、南方で何をしでかすかわからないと、神戸で貝ボタンの会社をやっていた姉夫婦に相談し、銀蔵に...
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是川銀蔵・・・相場師一代(15)徴兵検査不合格

銀蔵が日本に帰ってきて半年がたった大正6年5月頃。銀蔵はまだ商売を諦めてはいなかったが、彼に徴兵検査の時期がやってきていた。当時は自分の家から兵隊が出れば赤飯を炊いて近所に配るくらいのお祝いだった。御国の為に尽くすのが、当時の国民常識だった...