是川銀蔵・・・相場師一代(17)21歳で従業員260人を使う

是川銀蔵

大正8年7月、銀蔵は大阪に向かい、鉄のブローカーとなる。日本は第一世界大戦の好景気で、3兆円近い外貨を稼ぎ、戦争による好景気を迎えていた。何を売っても儲かるが、銀蔵は鉄に目を付けた。世界中で最も需要があり、現物があれば右から左に売れた。銀蔵は手始めに造船所で老朽船を買い付けたり、知人を回り50tの鉄を確保した。集めたて鉄はすぐに買い手が付き、現在価値で6,000万円の利益を手にすることが出来た。

また知り合いに鉄の圧延技術をドイツから持ってきた人がいて、「古鉄をただ売るより加工して売った方がもっと儲かる」と教えてくれた。新しい技術は銀蔵も興味があり、すぐに資金を銀蔵が出して工場を建てる事になった。大阪市港区に伸鉄工場を作り21歳の銀蔵は経営を始めた。翌年には亜鉛メッキ工場を買収し、従業員は260名にもなった。

大正9年は株ブームで、株と名がつけばなんでも高騰した。日本水力という会社がまだ創業前にもかかわらず株式公開したら、なんと3,700倍の申し込みが殺到したという話がある。銀蔵のところにも証券会社から「あんたのところは2つも工場をやってるし、会社にして株式公開したら高く売れますよ。」と持ち掛けられた。そこで大阪伸鉄亜鉛メッキ株式会社を設立して、銀蔵は専務で、社長には証券会社の社長が務める事になった。

だが、ここでトラブルが発生。証券会社の社長が本業の株で失敗し倒産。 大阪伸鉄亜鉛メッキ株式会社 の株の社長分を銀蔵が借金して引き受け、銀蔵は新社社長となったのである。いつも最後にトラブルに見舞われるのは銀蔵の運命ではと思ってしまう。こうして260名もの社員を雇う会社の社長に銀蔵は21歳でなったのである。

働き詰めの銀蔵は病魔に襲われる。「このまま仕事をしておったら死ぬぞ!」と医者に言われる始末。銀蔵は休養を取らざる負えなくなるのだが。。。次回「是川銀蔵・・・相場師一代(18)銀蔵の病魔」乞うご期待!

たなぶ

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