是川銀蔵・・・相場師一代(24)百発百中の相場

是川銀蔵

銀蔵は奥さんが作った70円を握りしめ北浜市場へ向かった。当時の最低保証金は200円だったので取引できないのだが、銀蔵にはあてがあった。株式仲買人の福田賢一郎(後の一吉証券社長)に会いに行ったのだ。福田氏の姉婿に数千円の損害をかけられ、銀蔵の会社の倒産の一因になっていた。この時、福田氏が姉婿を連れて銀蔵のところに誤りに来てからの付き合いだった。福田氏の金田辰藤商店につくと「福田君を読んでもらいたい」と銀蔵は言った。出てきた福田氏に70円を見せて「これで売買をやらせてくれ」と切り出した。

福田氏は「最低保証金が二百円いる。70円ではどうにもならん」と無茶苦茶言うなと顔に書いてある。あきれ顔の福田氏は食い下がる銀蔵に「せめて半分の100円くらいなんとかなりませんか」というが、銀蔵は「もう1円もだせない、足らない分は君が立て替えといてくれ」と福田氏を困らせる。銀蔵は「あんたのところは相当高い月給とっとるんだろう、30円くらいなんでもないだろう。君の姉婿が僕に与えた損害の何分の一にもあたらんぞ」というと福田氏も痛いところだ。

「・・・損したらどうしますか。」という福田に「保証金は損した時のためにあずけるんだろう。それにわしは絶対に損はせん。」結局、福田氏は義理からことわれず「わかりました」と売買をさせてくれることになった。こうして銀蔵の株式相場での相場師人生が始まることになったのだ。昭和6年銀蔵34歳の時の事だ。最初に買ったのは当時の人気株新東だった。そして快進撃がはじまる。当時家族四人で月100円の生活費が掛ったが、銀蔵はその100円を家に入れながら、元手は増えていくのだ。その年の年末には70円の元手が7000円に膨れ上がっていたという。

大阪の北浜に連戦連勝の人物が現れたといううわさが広がる。そして銀蔵の周辺にもいろいろな人があつまるのだが。。次回、「是川銀蔵・・・相場師一代(25)先生、事務所が出来ました」乞うご期待!

たなぶ

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