是川銀蔵・・・相場師一代(19)関東大震災とトタン板

是川銀蔵

是川銀蔵といえば、このトタン板買い占めが有名だ。大正12年(1923年)9月1日、「その日も午前の仕事をを終えて、ちょうど昼飯の弁当を広げかけた時、急にグラグラときた。」銀蔵はそう述べている。横揺れだったので震源地は遠いと判断した銀蔵だったが、午後二時に朝日新聞の号外が出た。「横浜大地震、津波の危険迫る」とあった。記事には横浜港外の外国船からの無線電信で朝日新聞大阪本社が入手した情報だった。また「横浜で大地震が起き、全市で火災が発生、本船は津波の危険があるので港外へ避難中」と無線にはあったというのだ。関東大震災の関東の話はよく聞くが、関西の当時の様子がこの銀蔵の話でよく分かる。

関東大震災は近代史では最大の地震被害で、死者9万1千人、被災家屋52万7千戸という空前絶後の大惨事だ。多くの人がこの朝日新聞の号外を読んだはずだが、銀蔵はこれを読みこう思った。「東京は全滅だ!」と。銀蔵は全社員を社長室に集めて小切手5,6枚づつ渡して「トタン板、ブリキ板、釘を向こうの言い値いいから買えるだけ買ってこい!」と指示した。「そんなもん、買っていいんですか」とぽかんとする社員に、「何を呑気な事を言っている!一刻を争うから早よ買ってこい!!」と送り出した。銀蔵には(横浜が全滅なら東京も壊滅的な打撃を受けているはずだ、家を壊され、焼かれたりしたら何よりますバラックを建てなければならない。そうなればトタン板と釘が必要になる。)という読みがあった。

狐につままれたような社員を焚きつけて放り出し、銀蔵自身もトタン専門問屋の並ぶ立売堀へ急行した。Y商店では「あんたんところは波板なんぼある?トタン板のストックはなんぼある?」と聞くと、「2万枚くらいあるかな」との答え。「それ全部売ってくれ」という銀蔵の申し出に店主は目を丸くした。通常は20,30枚の単位で売るものだったからだ。「全部売ったら商売できんがな」という店主に「また仕入れたらいいやないか」と食い下がるも、店主はいぶかしがり「なんでそんなに必要なんや」と執拗に聞いてくる。「これから暴騰するからだ」とは口が裂けてもいえず「朝鮮の友達が大きな建築を請け負ってトタン板が何万枚も必要だと頼まれたんや」と噓をつき、半分を売ってもらうことが出来た。

明日になれば品物を渡すのは嫌だと言われかねないので「品物はこの引換証で、いつなんどきでもお渡しします」という念書も書いてもらう念の入れようだった。そしてほかの店も銀蔵は回り、買えるだけのトタン板を買った。銀蔵が会社に戻るころに朝日新聞の号外第二号が出た。「東京、大震災で全滅!関東地方に未曾有の大地震が起き、東京全市が火災に覆われ死者多数にのぼるみこみ・・・」これを見たトタン屋のY社長が後を追って銀蔵の会社に飛び込んできた。「あんた、殺生やないか、この号外知っとったんやろ!」掴みかからんばかりの剣幕で詰め寄るY社長に銀蔵はこう言った。

「君は第1報の号外で何も感じなかったのか。俺は”横浜が火災”で東京がすでに全滅していると判断して、トタンを買いに行ったんだ」というと「う~ん」と腕組みをしてY社長は考え込んだが、誓約書は破棄してくれという。銀蔵も「ならお前んとこの看板おろせ」というと「それは勘弁してくれ」と泣きつかれた。とうとうトタンは半分の5千枚だけになったが、銀蔵は大阪中の替えだけのトタン板を買い占めたのだが、問題があった翌日の支払いの手配がついてなかったのだ。

次回「是川銀蔵・・・相場師一代(20)末恐ろしい男」乞うご期待!

たなぶ

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