是川銀蔵・・・相場師一代(23)投資はしたいが元手がない

是川銀蔵

昭和6年(1931年)12月犬養内閣は金輸出禁止を断行したのをきっかけに、株s機器市場は急騰を始めていた。相場の中心は新東株(東京証券取引所新株の略)は、12月10日の119円50銭から翌11日に135円30銭、さらに12日には143円50銭と大暴騰を演じていた。銀蔵は長い図書館通いで経済と株価の変動に一定の法則性を見つけていた。そして「よし、事業は面倒だ、株式取引という天下の博打場で勝負してやろう」と考えたそうだ。

当時の株式市場は取引高の80%は個人の売買で法人取引はほとんどなかった。株価は個人によって動かされていたのだが取引している人たちを見聞きして、実に幼稚な方法で相場を張っているように見えたという。経済を科学的分析をせずに、せいぜい新聞記事を参考にしているレベルだったのだ。単純な判断しかしていないように銀蔵には見えた。これなら勝てると確信したが、問題があった。投資の種銭がないのだ。金がなくては投資ができない。倒産して3年収入もなく、生活苦が続いていた銀蔵に投資の金などあるはずもなかった。

銀蔵は奥方に泣きついた。「どうしても一度だけ株をやらせてくれ。そのために金が必要だ、いくらでもいいからどこからか借りてくれ」と頭を下げたものの、すでに着物はすべて質草になっておりタンスの中にはなにもなかったいうありさまだった。しかし、さすがは銀蔵の妻である。70円をどこからか作ってきた。「これ以上はどうにもなりません。これで気のすむように好きな仕事をしてください」絞り出すような妻な声に感謝を伝えた銀蔵だったが、当時の株式取引は200円の保証金が必要だった。だが、これ以上は妻に頼めない。

銀蔵には1つアテがあった。会社経営をしていた時に貸しがある人物が株式取引の仲買人をしていたのだ。次回「是川銀蔵・・・相場師一代(24)百発百中の相場」乞うご行きたい!

たなぶ

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