是川銀蔵・・・相場師一代(22)貧窮の中での図書館通い

是川銀蔵

銀蔵は世界恐慌のあおりで会社を手放し、無一文になった。そして家族で京都嵐山の知人を頼って移り住んだ。著書の中で銀蔵は「もしかすると資本主義の終焉ではないかと考えた」と語っている。現在からみると何を言っているのか?と思えるが当時はそれほど経済が酷かったということだったのだろう。銀蔵はマルクス・レーニンの説く資本主義崩壊の第一歩が始まったと本気で考えた。もし、日本が共産主義になれば自分の家族は資本家の家族として差別の対象になるのではないか、そんな心配もした。そして銀蔵は考えた。

「現在の状況が資本主義の崩壊か、それとも一時的な現象なのか確認しなくては!」こうして三年間もの困窮生活の中での図書館通いが始まるのである。東京大学から朝日新聞に入る変わり種の吉野作蔵博士の「第三革命後の志那」や「日本無産政府論」、早稲田大学の大山郁夫の「現代日本の政治過程」,河上肇の「マルクス主義講座」など、共産主義や資本主義、政治・経済の本や、経済統計の数字を集めて分析をしたという。

勿論、こんな生活が出来たのは家族や周りの助けがあったからに他ならない。間借りしていた知人は銀蔵が必ず将来また世に出る活躍する人だと信じて家賃をとらなかった。さらに米など食糧援助もしてくれて金は受け取らなかった上に、励ましてくれたのだ。娘が女学校に行く際の制服も銀蔵の奥さんが自分の和服を染め直して、さらに裁縫して制服を作って学校に上げた。もちろん染落ちなどしたが娘もさすが銀蔵の娘で全く気にも留めず周りのからかいにも「なんぼでも軽蔑しとれ、でも私の成績についてこれるか。今は貧乏ととるけどいつまでも貧乏はせん、うちの父さんは普通の人とは違うんだ」というほど、彼女の成績は素晴らしく、銀蔵への尊敬も強かった。

教師が家庭訪問で「お父さんは家でどんな勉強を教えていますか」と聞きに来るほどだった。銀蔵は娘に勉強の強要などしておらず、「わからんことがあったらお父さんに聞きなさい、あとは自分でやりなさい」とだけ言ったのだという。この銀蔵の娘は後に朝鮮総督府のハンセン病の権威で西亀博士の長男で脚本家の西亀元定氏と結婚している。貧乏のなかでも周囲や家族の尊敬があったことが、銀蔵の救いだった。そして、図書館通いの結果、銀蔵は1つの結論に達した。「経済は永遠の繁栄もなければ、永遠の衰退もない」そして「経済の大きなリズムは株式相場の実態に表れている」ということがつかめたのだという。

こうして株式相場師「是川銀蔵」が始まるのである。次回「是川銀蔵・・・相場師一代(23)投資はしたいが元手がない」乞うご期待!

たなぶ

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