わたし、たなぶが勝手に師匠と思っている山崎種二氏の相場の心得の話になります。
今日のお品書きは下記の3つ。
1、米相場師・神吉源之助の破綻に学ぶ、人間の無限の欲望
2、福沢諭吉×渋沢栄一の額皿にみる、有頂天な時の落とし穴
3、大正の相場師・石井定七に売り向かった山崎種二の手法
米相場師・神吉源之助の破綻に学ぶ、人間の無限の欲望
山崎種二の著書「そろばん」に米相場で大もうけした人間が、「あと少しで大台だ!」と粘ったばかりに破綻に追い込まれた話がある。この部分が面白いので下記に原文を載せる。
「明治時代、米相場での大成金といわれた神吉源之助の話があった。晩年、病の床にあって、「今日ではもう百枚の米も張れぬようになってしまった。実は俺が思惑でもうけた金は九十七万円、そこでとめておくべきところ、欲が出た。あと三万円もうけて百万円にしたら一切手を引こうと思った。その三万円をもうけるために、目先、売出動したのが運のわかれ目、思わず深入りしてしまった」と嘆いたという。勧業債券八十円をもとでに米相場で成功し、ついに百万円近くの財産を築いた人の言葉であった。明治末期の百万円といえば、今の金にすれば何十億円、あるいはそれ以上のものだろう。三万円だって大変なものにちがいないが、何も百万円にする必要はなかった。人間の欲望には限りがない。それが、おとし穴である。相場を当てた人の話はいくらでも聞いた。数限りない。にもかかわらず、最後までうまく行った人の話は少なかった。むしろ稀でさえある。」
身に覚えがある話ではないだろうか。もう少しと思ったところで相場が反転する。相場は自分の都合を見ていないというが、まさにそうなのだろう。
(ちなみに文中に今の金にすれば何十億とあるが、この「そろばん」の発行は1977年であるから、現在価値はさらに数倍だろう。)
福沢諭吉×渋沢栄一の額皿にみる、有頂天な時の落とし穴
次に紹介するのは山崎種二が昭和26年に穀物商品取引所の理事長をしていた時に、理事長室に飾っていた額皿の話である。
その額皿は福沢諭吉の言葉らしく、それを額皿に渋沢栄一が書いたものとのこと。
そこには次の文字が書いてあった。
成名毎在窮苦日
敗事多因得意時
意味としては、「成功のタネは必ず苦しい時に芽生え、失敗するのは有頂天になっている時に原因が生じている」ということで、種二は「まさに相場の極意」だといっている。
大正の相場師・石井定七に売り向かった山崎種二の手法
最後に大相場師・石井定七に売り向かい勝った時の話だ。
石井定七とは、滋賀県の人で材木商から出発、まず材木の買い占めに成功、折からの欧州戦争、第一次世界大戦を背景に米相場でも買い占めに乗り出して次々に当たりをとった。特に大正六年には大阪堂島の米市場で連合軍を結成して大きく儲けた上に、綿糸から銅山にまで手を伸ばして連戦連勝、”横堀将軍”のあだ名をたてまつられていた。彼の邸が大阪、横堀にあったからである。
その石井が結局は買い占めた米の処分に困っていく。
「そろばん」文中には手法について詳しく書いてないが、「思惑による相場でもうけたのではない。山繁商店本来の委託米売りさばき、サヤトリによるもうけであった。しかし、量が大きかったので、そのもうけは大変なものになった。」とあるので、種二の勤める山繁商店は米問屋なので米の現物を多く扱い保有している。現物持ちの先物売りというポジションだったと思われる。先物の方が値が高く、現物に限月が近づくにつれてサヤが剥げて利益になる。
だから思惑(売ったり買ったり)ではないといっているのだろう。
そして最後に次のような言葉で章を締めている。
「一つには「凶作に買いなし」、そして「豊作に売りなし」の諺を目の前にみたことである。そして、もう一つは思惑でもうけるのは大きい。しかし、一つまちがえればとんでもない損をかぶることである。およそ、相場に勝った人の話はよく聞くが、最後まで見事に、勝ちをおさめたという話はむしろ、稀でさえあった。」
山崎種二の相場の心構え、如何でしたでしょうか。
私も明日からの相場に心掛けたいと思った次第です。
「あと少しだけ・・・」という欲が、一番危ないのかもしれない。。。
たなぶ

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