20代前半の私が証券会社に口座を作ったところまで前回は書きました。私は投資の勉強を始めるのですが、当時はインターネットもありませんし、私は経済学を学んだこと(必要ないですが)もありません。証券会社からパンフレットのようなものをいっぱいもらい読みましたし、当時取っていた読売新聞の経済に関わるもの、株の記事などをハサミで切ってノートに張り、スクラップブックをつくりました。今考えると、ただただ無駄なことをしているのですが、当時は何の情報もなく、どうしていいのかまったくわかりません。祖父が持っていた東北電力の株を買おうとも思いましたが、自分で何か新しいものを探そうと「勉強」を続けます。もちろん投資信託を証券会社からすすめられましたが、全然ぴんときませんでした。というより内容が理解できませんでしたし、まだ証券会社も信じてませんでした。「本当にこの会社にお金を預けて大丈夫だろうか。」という素人不安もありました。それくらい当時は銀行預金があたりまえで、投資をしている人は現在より少数派だったのです。しかも、この私が始めようと思った時期は確か1990年末か、91年前半だったと思います。
当時はバブル崩壊の真っただ中で、始めようとしたものの怖くて始められないというのが正直なところでした。今思えば黙って5%の定期預金していればよかったのにと思いますが、未来の分からない私は(今が底でこれからまた上がるんだろう)と考えていました。過去の自分に声をかけられるんなら、「お願いだからやめてくれ!」と言いたいですが、私の悪いところは小心者のくせに好奇心が強いという矛盾した性格にあります。私はまずは中期国債ファンドや金なんとかファンド(名前は忘れましたが)という今の金積み立てではない金に金利をつけるような商品を10万か20万づつ買った覚えがあります。当時はもちろんネット銀行もありません、銀行振り込みもできたんでしょうが記憶では証券会社の窓口に現金をもっていって買った覚えがあります。本当に銀行の延長のような感覚でしたが、職場の中年の先輩が顔色を悪くして仕事中に上司の目を盗んで現場の電話からどこかに電話しているのを何度も見ましたが、証券会社に電話していたんでしょう。あとで「もう二度と株はやらない、大損した。」と私に語ってくれました。1990年のバブル崩壊開始は本当にひどい下げだったといいます。私は株をもってなかったので、「まだ」被害を受けませんでしたが当時株を持っていた人は大変でした。
1990年の相場はチャートで分かるように年初から急落が始まり、第1波が38000円台から28000円切るとこまで一気に下がり、第2波で33000台にもどしますがそこからさらに急落して第3波で20000円まで下げるという凄まじいものでした。9か月で指数が半分というのはすごいですね。私は当時工場勤めで4直三交代をしてまして証券会社によくいってましたが、証券会社内の株価電光掲示板の前の席の人数がどんどん少なくなるのを覚えています。来ている人も目はうつろで、絶望的な顔のひともいたのを覚えています。20代前半で証券会社に出入りしているのは私一人で、株を買うわけでもない私をどうおもっていたかはわかりませんが、たぶん(変な小僧が来た)くらいに思っていたのでしょう。受付のおねえさんは優しく接してくれました。
そして私は本屋で当時900円くらいのチャート本に出合います。「テクニカル分析」と書かれたその本を手にして私は、「こんなものがあったのか!」と感動したのを覚えています。今思うと本当に儲かる情報が900円売られるはずないと言えますが、当時は宝探しの地図でも見つけたように興奮して毎日読み返してました。移動平均線のゴールデンクロスやデッドクロスでさえ、神の啓示のように思えました。(これを使えば勝てる!!)と意味不明な自信が沸き上がっていました。本の内容を丁寧にノートに書いていました。当時からまめなのはまねでしたね。頑張ってますが、本当にまちがった努力ほどあとからむなしいものはないです。寿司屋になりたいのにパンを作っているくらいの意味のない努力をいっぱいしてますが、それでも「株を買いたい!」という思いだけは強くなっていきます。知らない世界への好奇心だけが私を動かしていたんだと思います。
次回「初心者たなぶの投資記録(3)・・・資生堂を買う」乞うご期待!


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