参謀中佐の話に乗り3万円(書籍現在価値5億円)を出した銀蔵だったが、いよいよ青洲攻撃の日が来た。参謀中佐の言うように簡単に青洲攻略が出来れば、青洲の一厘銭商売の独占と出資金3万円が倍の6万円で帰ってくる約束だ。銀蔵にとっても勝負だった。なんとしてもこの話がうまくいってもらわないと困る。
「いよいよ今夜半、青洲城の夜襲を行うから見に行かんか」と参謀中佐から誘いが来た。銀蔵は革命軍のスポンサーなので、気を使ったらしい。銀蔵としても勝利の瞬間を早く見たい、当然行くことにした。「中国の正規軍は一個連隊約千数百名、対する革命軍は三百名だが向こうは戦意乏しい傭兵に比べこちらは剽悍極まりない匪賊の殺し屋揃いだ。しかも、夜襲となれば我が方の勝利は間違いない!」と高笑いする参謀中佐。
深夜0時頃に「ぱんぱん!!!」と城内から銃声が聞こえてきた。戦闘が始まったのだ。1時間が過ぎ、2時間が過ぎ、3時間が過ぎても勝利の報告がない。すぐ勝敗がつくはずだったのに手こずっているようだ。そのうち場内から逃げてくる兵がいる事に気付いた。はじめは中国軍かと思ったが、治外法権の日本側区域に来るはずもない、「おかしいな・・・」そう思っているうちに参謀中佐の顔色が変わり、負傷へのところへ駆け出した。
銃声が止み、夜が開けた。日本の治外法権である駅構内に入ると、銀蔵は腰をぬかさんばかりに驚いた。構内で血みどろ、泥だらけで蠢いている負傷兵はよもや負ける事がない、絶対に勝つと聞かされ続けていた革命軍だったのである。真っ青な顔の参謀中佐に「私の三万円はどうなるんですか!」と詰め寄るように問いただすと、苦しい胸の奥から絞り出すように「第2次攻撃を待て、絶対にやる。お前との約束は保護にはせん!」威勢だけはいい。
青島に引き上げた銀蔵だったが、しばらくして参謀中佐があらわれた。「第2次攻撃はいつになるんですか」という銀蔵の問いに「しばらくは準備に時間が掛かる・・・」と煮え切らない。そればかりか「それまでの革命軍の面倒を見る費用を出してほしい」とさらなる出資を求められたのだ。(軍人は偉そうにふんぞりかって、金稼がず、人の金ばかりあてにしている・・・)これ以上付き合ってはいられない。「考えさせてください」そう言って追加出資は断ったのだ。
それから1週間後に袁世凱が病で死んでいる。参謀中佐がまた来て「袁世凱が死んで事態は好転した。しかし政権をとった孫文の革命軍が来ても貸さんでくれよ。」わざわざそれをいいにきたのだ。革命軍と言っても元々は匪賊だ、武器を持たせたら何をするかわからない。そんなことより銀蔵は自分の貸した金の方が気になる。「あの三万円は・・・」そういうと参謀中佐は「あれか。あれは国家の為に献金したと思って諦めい!」そういいきり出て行ってしまう。
生きるためにまた一理銭商売をするしかない。しかし、ドイツ皇帝がアメリカ大統領に大戦の講和を依頼し、ウイルソン大統領は連合国に講和を提案した。これが大戦終結間近ととらえられ、非鉄金属相場は大暴落した。その影響で一理銭のインゴットの買い手はぱったりといなくなった。3万円の損失と相場の暴落と商売の低迷でどうにもならなくなってしまう銀蔵。
それまで青年実業家として周囲からはおだてられ、青島の街を肩で風切って歩いていた銀蔵は、一転債権者に頭を下げて回る日々になってしまう。地べたに頭をこすりつけ謝る銀蔵。ポケットの拳銃を自分の頭に押し付けて、何度死のうかと思ったがそれは出来なかった。日本から両親も呼んでおり、残して死ぬわけにもいかなかった。そして夜の青島の街を彷徨し、夜が開き始めた東の空を見て、銀蔵はハッとした。
「やり直そう。人生は七転び八起きだ。山もあれば谷もある。今度は努力してこの谷を登るんだ!」そう決意した銀蔵は、債権者会議で全財産を投げ出し頭を下げた。銀蔵が徴兵検査前の19歳だったこともわかり、債権者は驚き、逆に励ましてもくれた。予想以上に温かい対応だったと銀蔵は書き残している。大正5年(1916年)12月31日、銀蔵は再び裸一貫になり、両親と共に青島から日本へ引上げたのだ。
二十歳になる銀蔵に徴兵検査が迫っていた。「兵隊なんかになりたくない!」銀蔵は兵役を何とか逃れる手はないかと考えてある方法を思いつく。次回「徴兵検査不合格」乞うご期待!
たなぶ
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