阿部 彦太郎(2)・・・相場師領袖

阿部 彦太郎

阿部彦太郎は、シンパが多くこのシンパと組んで相場を張るのが常だった。手法は買い占めである。相場と名の付くものはなんでも手を出した。米、為替、生糸、砂糖などなど。1881年(明治14年)の生糸市場で外国商人相手に一戦交えている。当時極東の片隅の日本で外国商人に相場でどうやって戦いを挑んだのか。

日本の生糸は海外でも人気で奥州でも引き合いが多かった。そこでロンドン駐在の手代に「生糸を買いまくれ」と指示し、国内では日本の生糸輸出商人らと結託し販売停止処置にしたのだ。日本の生糸が来ないとわかり、欧州の生糸市場は上昇した。阿部彦の狙い通りだ。

しかし、欧州商人もやるもので奥州での生糸「不買同盟」を結成し対抗。阿部彦側は後半売却に手こずるもかなりの利益を出した。そして、阿部彦を伝説の相場師にする米の買い占め戦が始まる。1891年(明治25年)阿部彦を総大将にしてきたの北野平兵衛、橋本伊兵衛が連合して買い占めを行った。西日本の相場師たちの連合攻撃に東京勢の売り方は、敗走につぐ敗走となった。

しかし阿部彦は買い占めた150万俵の処分で苦労し「日本米価変動史」によると、「さすがに強気の買い占め団もその首領阿部彦まず投げ始めたため、米価は一斉に下向す」とある。当時の新聞は、食料である米などの値段を吊り上げる相場師を毛嫌いしていたが、阿部彦だけは「彼は相場師社会の領袖なり。商機に敏なる、思慮に富める、志気の堅忍なる、そして資力の豊富なる」とべた褒めした。

阿部彦は大きく儲けても絹の着物を着ず、木綿をきていたというエピソードも彼の人気のひつになったのではないか。

たなぶ

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