日本の19世紀の相場師といえば、阿部彦太郎(あべ ひこたろう:1840ー1904)が外せない。近江の国神崎郡能登川の商人の家に生まれている。長じた彦太郎は明治元年大阪に出てきて米穀店を開業、現物と先物のサヤ取りをやって利益を出していたが、サヤ取りは利幅が薄い(同感)。翌年には三井物産大阪支店長と米の買い占めを強行、成功している。
明治元年(1867年)と言えば、鳥羽伏見の戦いから始まる戊辰戦争の真っ最中だ。戦争時は食料は価格が上がると読んだのだろう。明治13年には大阪財界の大物・五代友厚、広瀬宰平らと連合して買い占めで勝利を収めている。
こんな逸話がある。電報で「ハハタイベウス スグカエレ」と母が重い病気になったのですぐ帰れと連絡が来た。しかし、相場で大玉を抱えていた阿部彦はこう返信した。「オヤニハイシヤアレド カネニハイシヤナシ」と、母親には医者がいるだろうが、俺の金には医者がおらんと言ったのだ。
これには戦場の武士のようだと賛美を送るものもいたが、親不孝者と批判も浴びた。彼の手法は仲間を募って一気に買い占めに走る手法だった。売り方にとっては本当に嫌な奴だったろうが、先ほどの戊辰戦争などちゃんと需要を見てから戦っている。勝てる戦いで徹底的に相手を叩きのめすスタイルだったので相手に恐れられた。
そして阿部彦は別の相場の勝負にも進んでいくのだ。それはまた次に! たなぶ
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