山崎種二(やまざき たねじ)は私の大好きな相場師・実業家です。1893年生まれで、1983年に亡くなるまで、まさに相場にまみれた人生を送った日本を代表する相場師だ。実業家としても、山種証券(現SMBC日興証券㈱)や山種物産㈱、辰巳倉庫㈱、株式会社ヤマタネなどの会社経営をした社長としても有名で、山種美術館も創設している。
また小説「赤いダイヤ」の敵役としてモデルになったりもしているが、山崎種二は「売りの山種」と呼ばれ売り方での勝負が上手かった。様々な逸話の多い山種だが、有名なのは2.26事件でクーデターを目にした山種は、東京の取引所が開かない中、新潟の取引所が開くことを利用し、大量の空売り注文をして大儲けしたという話がある。
しかし、面白い話画はあるがあまり我々の相場に役立つ話ではなく、個人的には自叙伝「そろばん」に出てくる相場の技法についての記述の方が興味深い。まだ東京で丁稚奉公をしている時に、すでに貯まった金で相場を始めている。「そろばん」の中で山種は、「サヤトリ」をしていたと書いている。
コメ相場での鞘取り、先物の限月は金利分先が高い。「そろばん」には具体的な玉帳などなく、ただ「サヤトリ」とだけあるのでよくわからないし、コメ相場の鞘取りは現在は制度としてないのでわからない。しかし先物の鞘取りと考えれば想像はつく。現在では金利が低く、利ザヤが取れるほどの期先が高い「コンタンゴ」を期待は出来ないが、当時は十分鞘取りが出来たと思われる。
長くなったのもう少し簡単に先物の鞘取りについて、次回説明したい。
たなぶ
コメント