立花義正は終戦時に37歳だったとそうで、造船の技術者だった。タイに軍人として出征していて、終戦で現在のミャンマー経由で帰ったと著書にある。彼は仕事中の事故で片足をなくし、その後退社して相場師になるという人生を送る。苦しい人生だったことも著書にはあるが、その件はまたにしたい。立花氏はまったくの相場素人から紆余曲折を経て、1品目の株だけを扱うという手法にたどり着いた。現在の分散重視の相場、インデックスこそが正しいという考えの真逆にある。手法はうねりどりとも言われるもので、分割売買、ツナギ、そして休みを入れ る手法だ。以前は私も目指したが、これは本当に難しく、私は山種が好きだったこともあり、ツナギ売買になった。それはいいとして、今日は昭和50年の売買譜を紹介したい。
昭和50年1月
日 大引け 寄付値 売買 残玉
1/4 810 810 10- 10-
1/8 780 806 5ー 15-
1/13 775 775 5- 20-
1/16 775 788 2- 22-
1/20 776 784 1- 23-
1/22 755 751 ー2 21-
1/23 745 759 ー3 18-
1/24 736 743 ー3 15-
1/27 744 751 ー5 10-
1/30 790 785 2- 12-
1/31 780 780 3- 15-
まず相場が下がると考え1/4に10単位1万株の空売りから入っている。その後、思ったように株が下げてくので5-5-2-1と追加の売玉を立てた。1/22からは上がると見て分割で2-3-3-5と利食いをしている。そして1/30、31でまた2-3と空売りの追加を入れたというのが、1月の相場だ。
これからわかる事は、下げが思い通りに下げていった場合に深追いをせず、増し玉をしてるという事だ。思い通りに相場が動くとまだいけると思い、大きな玉を立てる人がいるが立花氏は実に慎重にしてる。そして下げの利を分割で2-3-3-5で利食いしている。その後、上昇に合わせて2-3と売り上がっている。このように分割ですべて売買されているのが特徴だ。どうだろう、頻繁に売買しているのが印象に残らないだろうか。何かの相場本でで読んだが、素人の相場とプロの相場では、素人は多くの種類の株を持ち、そして動かない。プロはこのように頻繁に売買している、との事だった。もちろん、これが正しいというつもりもなく、相場にはこういうやり方もあり、これで財産を作った相場師が実在したということを伝いたいのです。次回はこの続き昭和50年2月の売買譜を紹介したい。2月にはツナギも出てきます。でわ。
たなぶ
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