是川銀蔵・・・相場師一代(10)再び中国へ

是川銀蔵

銀蔵は失意のうちに日本に帰国したが、一文無しで帰国した銀蔵に世間の目は冷ややかだった。「このままではいかん」。銀蔵は半年もしないまま、再び中国に行くことにしたのだ。青島にはついたものの、かつての軍隊の御用商人はもうできない。新しい商売を探していると、あるものに目が行く。一厘銭という中国の通貨だった。

当時中国は袁世凱と孫文の主導権争いでいつ政府が転覆するかわからず、銀行に現金を預ける人はほとんどいなかった。市中には大量の一厘銭があった。第1次世界大戦は泥沼化の状況で、非鉄金属は暴騰していたことを銀蔵はしっていた。一厘銭は亜鉛、鉛、銅の合金だった。これを溶かしてインゴットにして輸出しようというのだ。

中国の法律では「通貨の改鋳、売買、運搬は死刑」となっていたが、日本人は中国国内で治外法権を持っているので法の追及を受ける事がなかった。さっそく御用商人時代の信用のおける中国人3名を仲間に引き込こんで、一厘銭の回収を始めた。レートは1円で1000枚の一厘銭となったが、仲間の中国人の100枚を手間賃としたので、彼らはどんどん集めてきた。

そして、御用商人時代に銀蔵が運営していた青島鉄工所にもちこんでインゴットへと変えていった。中国人の仲間は青島鉄工所に持ち込むのは夜にしていたが、何度も中国の警察に職務質問をされた。「何を運搬している、中身を見せろ」。だが、「何か知らんが日本人から頼まれた。調べるなら日本の警察に連絡をとってもらわないと困る」。こういうと、関わると自分の身が危ないと、そのまま通してくれる。

日本にこの一厘銭を溶かしたインゴットを輸出すると、飛ぶように売れた。1円で集めたインゴットは日本で2円から2.5円で捌けたというから、大変な利益だ。あっという間に、銀蔵は大儲けをすることが出来た。大金を手に入れ、新しい一厘銭商売に力を入れていた銀蔵だったが、そういいことは続かない。日本の税関が彼の前に立ち塞がろうとしていたのだ。

ではまた次回・・・たなぶ

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